最後の年賀状は・・・

 喪中につき新年のご挨拶は控えさせて頂きます。
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
 2014年最初の記事は、音盤ではなく友人のことで・・・・
 



 小学3年生から40数年来の友人が逝ってしまいました。

自分が今まで生きてきて、こんなに波長が合う友もいなかったかな。あまりにも大きな出来事で涙もでません。恐らく時間が経過することで、悲しみが拡がっていくのだと思います。
 
 彼と出会ったのは、お互いのマンガ好きがきっかけだったと思います。丁度、少年ジャンプが創刊され、「ハレンチ学園」「男一匹ガキ大将」「父の魂」が話題になっていた頃、読むだけでは飽き足らず、子供ながらに自分達でもオリジナルのまんがなんて書いていたのですが、私のそれとは比べ物にならないほど、彼の創り出すストーリーやペンタッチなどは、目を見張るものがあり、学校では評判でした。将来はマンガ家なんて・・・夢見てたのも、小学校高学年まで。

 中学生になる頃には現在に至るまでの、基盤となる「ビートルズ」に夢中になっていたようです。入り口(きっかけ)は私と違うのですが、同じような毛色のmusicを聞いていたわけです。(当時は私はELVISを聞いていた時期です。)
 学年は同じでも1学年9クラスもある子供の多い時代ですから、同じクラスになることも無く、そうそう会う機会もなかったのですが、70年代初め頃は洋楽ファンも増え始め、勉強もそっちのけで、レコードの貸し借りや、ギターを持ち込んで練習したりするようになり、また接点ができました。、
 それが高校生になる頃には、更に勉強はそっちのけで、みんな長髪になり、音楽好きはバンドを作って、市民ホールでのコンサートや文化祭などを目標に練習に明け暮れていました。
 彼はポール・マッカートニーやグレッグ・レイクが大好きで、その影響でベースを始めたようでした。当時のポールはWINGSで活動していたので、リッケンバッカーを使っていた頃なんで、本物は替えないので、彼は国産の同モデルを使っていました。(確かグレコ)

 私が現在、こんなに音盤に浪費しているのも彼がいろいろ教えてくれたということも大きく影響しているのは事実です。特にソウル&ファンク系は・・・・・

 そして高校を卒業してからは、私は東京へ出てきましたが、彼は地元で予備校通いで、また疎遠になりますが、2年後の1980年に突然、私の2Kのアパートに転がり込んできました。少しの期間でいいので置いてくれと・・・その2ヵ月後には更に1人、大学を中退してきた共通の友人も一緒に住み着き3人の奇妙な生活が半年くらい続きました。
 その間には、あの1980年12月8日の悲報をも一緒に聞くことにもなります。 今となっては、何を目的に上京したのかも判りませんが、大学受験もあきらめ、音楽の道への夢を抱いていたのかもしれませんね。(というか絶対にそうです。)
 それから、数年後に私も家庭を持つようになってからは電話と年1回の年賀状でお互いの近況を確認している程度になってしまいました。(戸越銀座の有名ギタリストの家に行った時の話などいろいろなエピソードがあるので、どこかでまた記事にするかもしれませんが)

 心残りなのは、若い頃くだらない話をしている中で、自分の結婚式と葬式にはこの曲を流して欲しいなんて言ったのを覚えていて、それが彼の場合、ポールやジョンの曲だったんです。・・・だけど実際の場で流れていたのは、オルゴール調の「蕾」や「粉雪」でした。

 突然の訃報でしたが、「最後にポール、見られてよかったね。」・・・(ここでやっと涙出てきました)

PS:タイトルの年賀状ですが、毎年好きなミュージシャンを彫って送ってくれていました。過去の年賀状は嫁が処分してしまったらしいので、手許には4枚しかないのですが、昔の方がクオリティが高かったように思います。今年は私が喪中なので届きませんでした。通夜に列席していた友人に聞いたら、今年はジャコ・パストリアスだったそうで・・・もうどんなに待っていても届かない年賀状・・・(涙)
 
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by nakaji411311 | 2014-01-07 00:54 | 雑記
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